盛久の歴史と沿革
盛久の現在地は、江戸時代には盛岡
藩御新丸御殿の敷地で
した。明治維新の際に盛岡藩は賊軍となり、明治新政府によって城や建物はとりこわされ、石垣を残すだけとなりました。維新の動乱が収まった後に、御新丸を貫通した道路が作られました。当館の前の道路です。当地は、明治中期に払い下げられ、明治35(1902)年に木造の建物(旧盛久旅館の建物)が新築され、県会議員や県庁役人などの宿として利用されていました。その後昭和2(1927)年に屋号を「盛久」とし旅館が創業されます。
昭和23(1948)年
、創業者の弟の光原社・及川四郎の紹介で板画家棟方志功が当館に逗留し、「盛久」という大看板を墨書しています。昭和28(1953)年には民藝建築の建物に改装(設計は東京のたくみ工芸店・伊東安兵衛)し、当館は民藝旅館となりました。この時期、民藝の創始者である柳宗悦、バーナード・リーチのほか、白樺派、民藝派を中心とする文人が宿泊して色紙を残しています。
建物の老朽化により、旅館経営は平成15(2003)年に休業しましたが、民藝建築の建物は補修・保存することとし、その一部分を平成19(2007)年にギャラリーとして公開しました。この保存・公開が、地域文化の交流・向上や観光の振興などに少しでも役立つことができればと願っております。
「盛久」を取り上げている主な書籍
●民芸建築図集 (四季社 1958)
●バーナード・リーチ日本絵日記 (講談社学術文庫 2002)
●民芸運動と建築 (淡交社 2010)
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